【小説】君の名は希望

創作小説です。乃木坂46「君の名は希望」からインスピレーションされて創作しました。BGMとして流しながら聴いていただけたら嬉しいです。

1.透明人間

 あの日から、母は私と口をきかなくなった。

 

「前十字靭帯損傷、日常生活にはリハビリ次第で戻れるが、バレエを踊るのは厳しいでしょう。」

医者の言葉を聞いた時、発狂したのは母だった。あおいは虚無感みたいなのはあれど、意外と冷静だったのだ。その時あおいは気づいた。潰えたのは私の夢ではなく、母の夢だったんだ、と。

 朝起きるとウグイスの鳴き声がした。あの日から朝起きるのがどんどん遅くなっていて、太陽はすでに高かった。松葉杖にはだいぶ慣れたけど、自室から一階に降りる階段は毎日一苦労だ。リビングのテーブルには自分の保険証と一万円札が一枚。それを見て、今日が通院の日だと気がつく。正直、何に対してもモチベーションは沸かず、ただ惰性で生きているから曜日感覚すらない。

 

 いつも通り、タクシーで病院まで行き、医者の言うことに適当に相槌を打って、リハビリ師の暑苦しい声を適度にやり過ごし、病院を出たら一時前になっていた。今日はまだまだ長い。今年は暖冬だったので、もう桜が咲いていた。このままだと、入学式の頃には散り切ってしまうだろう。そういえば、通知表と学年末テストの結果を受け取りに行けてなかったな、そう気づいたあおいは、持て余した時間を潰すついでに学校に向かった。

 

 正直高校にはなんの思い入れもない。というより、ほとんどいるかいないかわからないような生徒だと思う。中学生の頃は、目立つ人間や暗い子なんかをわざと嫌がらせする集団もあったが、高校生になると関係ない人は放っておく、といった雰囲気で、いじめられてはいないが孤立しているというのがあおいのポジションだ。その証拠に、松葉杖にも関わらず駅から校門までの道すがら誰の目線もなかったし、いわんや、声などかけられることはなかった。

 職員室に行くと、定年すれすれの国語教師が居眠りをしていた。あおいの担任は部活動の最中で、まだ体育館から戻っていないという。職員室と体育館をつなぐ渡り廊下の窓から桜が見えていたので、その脇に腰を下ろすことにした。石造りの階段は日陰だからか、ひんやりとしていた。

 

 「あれ?佐倉じゃん?」

ぼーっと桜を眺めていたら、まだ4月に入ったばかりだと言うのに、首や顔が日焼けし始めている大きな野球少年があおいを見下ろしていた。

 「えーっと……。」

 「あー、俺?高野だよ、高野太陽。同級生の名前も覚えてなかったのかよ」

声変わりしきった低く、ちょっと掠れた声で笑う。

 「ま、仕方ねえか。佐倉、忙しそうだもんな。ていうか、脚……」

 「あーこれ、やっちゃったんだ。靭帯。」

まるで他人事のように笑うあおいに対し、どう触れて良いかわからないといった様子でたじろぐ太陽。

 「おーい、太陽、行くぞ?!」

 「おっけ、ちょっと待って!」

 「にしても、お前、ガリガリすぎるよ。佐倉、人の握ったおにぎりとか平気?これ母ちゃんが握ったんだけど、食ってみ、うまいぜ。」

そう言うと、一目散に校庭を突っ切っていった。あおいの手には、まん丸の大きなおにぎり。ラップを少しだけ開いてみると、おかかの香ばしい匂いが広がった。